なかなかその傾向を劇的に変えられずにいる人口減少と少子化問題。その影響が最もストレートに現れるのが学校の閉校です。
明治38年の開校以来、119年の歴史を紡ぎ、1,171名の卒業生を輩出した天塩町啓徳小学校が今年度を持って閉校されることが決まり、本日午前10時から開催された閉校記念式典・惜別の会に出席して参りました。
同校は、地域の方々が何としても子ども達が教育を受けられる場を作りたいと、地域のある農場の事務所を借りて校舎にし、「幌延村第三教育所」としてスタートしたことが原点にあるそうです。その後、明治40年に「徳を啓(ひら)く」意味で「啓徳教育所」に改称され、大正6年4月1日に「啓徳尋常小学校」として認可されました。
平成に入り、4年に泉源小学校を、10年に幌萌小学校と男能富小学校を、11年に丸山小学校を統合し、天塩町内の市街地から離れた地域の小学校教育を担ってきました。
運動会などの行事はもちろん、日頃の教育活動に対して地域の方々が幅広く参加され、地域を挙げて児童の教育がなされてきた学校です。
私は元々釧路市の出身で、啓徳小学校がある天塩町雄信内地区と同様、酪農地帯である山花地区の生まれで、そこにある釧路市立山花小中学校という学校を卒業しました。その名の通り、小学校と中学校が併設され、複式学級による教育が行われています。私の母校も、同校と同じく運動会や学習発表会等の諸行事は町内会の方々と一緒に行うのが当たり前でした。
啓徳小学校に伺ったのは今日が初めてでしたが、我が母校の面影が見られ、何とも言えない惜別の思いが感じられました。
現在在籍している児童の皆様によるお別れの言葉の締め括りは、「啓徳小学校、ありがとう」でした。堂々と母校に感謝の気持ちを述べる児童の姿に、思わず涙してしまいました。
来年度から街中の天塩小学校に通う子と中学生になる子がいますが、新たな環境によって生じる負担の軽減等が図られ、健やかな学びが実現出来るよう、私の立場で努めて参ります。
惜別という寂しさを感じる会ではありましたが、一つ嬉しい出来事もありました。
啓徳小学校の吉田久校長は何と釧路のご出身で、出身校である釧路湖陵高校の先輩にあたる方でした。素敵なご縁、巡り合わせに感謝です。
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