終戦日。平和について考える。(2022年8月15日)

 今日8月15日は日本人にとって特別な一日です。先の大戦から77年となる今年は、隣国の一つであるロシアが他国を侵略するという暴挙が終わらないまま、この日を迎えることとなりました。

 私たちの世代は「戦争を知らない世代」でした。昨年までの地元留萌管内各市町村で開催される戦没者追悼式でも、「自分達のような戦争を直接経験していない世代が、戦争の悲惨さを語り継いでいく責務を負っている」という旨の追悼の言葉を述べて来ましたが、今年は状況が変わりました。

 もちろん、私がウクライナ国民の皆さんが必死に耐えている戦禍を直接体験している訳ではありませんが、「武力による現状変更は認められない」とする国際社会のルールに反する行動を実際に取る国家が現代にいて、それが日本の隣国であるという事実を前に、「戦争を直接知らない」とは言えなくなったのだと感じています。

 300万人以上の尊い命が奪われ、自国民のみならず他国民にも多大な被害をもたらした先の大戦の反省に立ち、戦後日本は不戦の誓いを守り続けてきました。この平和主義は正しく、今後も決して変えてはならないと思います。

 一方で、自分達がどれだけ平和を強く念じていても、全ての国々が同様の想いの下、平和的な行動を取ってくれるわけではありません。それは今年の2月以降のロシア、またロシアの行動を見た中国の立ち振る舞いなどを見れば明らかです。

 遠い戦地で命を失った兵士の皆様、家族を失い、極貧の中、必死に戦後の復旧を進めて下さった方々。先祖の皆様の気持ちに報いるには、二度と同じ戦禍を繰り返さないことです。それは、日本が再び他国を攻め入ることをしないことだけでなく、他国に攻めさせず、日本のみならず世界中で戦争を生じさせない力強い外交力と防衛力を、日本が持つことです。

 戦争を避けるためには、戦争させない実力を持たなくてはならない。戦いを避けるためには、戦い抜く強さと覚悟を持たなくてはならない。矛盾するようですが、私は心底そう感じています。

 コロナ禍が厳しさを増し、管内各地の夏のイベントも中止・縮小されるものが続いていますが、昨日は増毛町で納涼盆踊りが開催され、出席して参りました。

盆踊りの太鼓は奈良賢一さんはじめ町民有志が担われていました。
実行委員会の渡辺武利委員長(真ん中)と棚橋秀彦増毛商工会長(右)と。

 

開会式でご挨拶する機会を頂きました。
息子と一緒に子ども盆踊り。
息子と一緒に子ども盆踊り。

  会場には地元の水産加工場で実習をされているベトナム人の実習生の方々が浴衣姿で参加しており、とても華やかな雰囲気に包まれていました。

 お盆は亡くなった先祖を迎え、日ごろのご加護に感謝する、日本人にとって大切な節目の祭事です。本来の由来はわからずとも、先に楽しさを感じ、その後に御先祖様に手を合わせるという伝統行事が、コロナ禍により失われつつあるのかもしれません。

 先祖があって今の自分達がいる。今を生きる自分達は後世の子孫のためにある。この思いを持って、一日を生きていきたいものです。

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