文化の日の今日は、久しぶりに十勝管内足寄町に向かいました。
私が秘書としてお仕えする機会を頂いた政治の師、鈴木宗男先生が生まれ故郷の足寄町の名誉町民として顕彰を受けることとなり、今も秘書をされている方々は勿論、かつて秘書としてお仕えした人間も含めた“鈴木宗男秘書軍団”が結集し、式典に参加しました。
鈴木先生には、平成15年、大学院を引退した後に、外交官試験や神戸市役所試験に相次いで失敗し、行き場のなかった私を拾って下さり、秘書にして下さり、政治家としてのあるべき姿を間近で見て勉強する機会を頂きました。平成22年には、最高裁での控訴が棄却されたことに伴い、衆議院に繰り上げ当選をすることとなり、2年2か月、衆議院議員の立場も経験させて頂きました。
鈴木先生本人が式典の中で述べられたように、鈴木宗男事務所は「鬼の事務所」と言われていたようです。私が入所した時はだいぶ変わっていたと聞いていますが、ボスが誰よりも働く分、秘書に休みはありません。手を抜いたり、集中力を欠いた仕事は一切許されず、私も厳しく指導されたものです。
一方で鈴木先生は、「結果」よりも「経過」を重視する方でした。ある秘書が、その時の自身の能力のキャパシティぎりぎりの中で精いっぱい仕事をしていれば、先生の望む通りの結果が出なくてもその努力の様子を認めて下さる方だったと思います。
例えば、能力100の秘書が80の結果を出し、能力50の秘書が60の結果を出したとします。結果として出した数値は前者の方が大きいのですが、鈴木先生は後者を評価するタイプだと、平成15年10月12日、初めて事務所の門を叩いた際、私を面接して下さった宮野明秘書(現帯広事務所所長)がこのようなお話をされていた記憶があります。
要するに、現時点での能力の大小は別として、全力で頑張っている者を評価するタイプです。
私も主に国会事務所で質問主意書の作成等をさせて頂きました。大変に勉強になりました。
ただ、それだけをやっていたのでは秘書ではなく、陳情に来られた方々をご案内したり、事務所の掃除をしたりと、社会人としての基礎も主に先輩から教えて頂きました。
事務所に入りたての頃、先輩に命じられた用務を終えた私は、「何かやることはありませんか?」と先輩に聞きました。「今は特にないから何か自分で探して仕事をしていなさい」と言われたものの、何をしたら良いかもわからず、とりあえず伸びていた爪を切り始めました。ボスが隣にいるのにもかかわらず、パチンパチンと爪を切り出した私を、見かねた先輩は厳しく叱ってくれました。当時の私はその程度の社会常識もなかったのです。
式典の後、鈴木先生の出生地である足寄町大誉地の生家の跡地や大誉地小学校にある記念碑等を皆で見学しました。
改めて自分は、鈴木宗男事務所の門を叩き、鍛えて頂き、今日に繋がっているのであり、政治家としての原点は鈴木事務所なのだと感じました。立場は変われど師弟関係は不変であり、師の存在はありがたいものです。
鈴木先生にはこれからも北海道の発展、日本、世界の平和のため、「生涯政治家」として、長く長くご活躍頂きたいと思います。
至らない弟子が少しでもましになったと思って頂けるよう、私も頑張ります。
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