今日は苫前町立古丹別中学校の閉校記念式典に出席させて頂きました。
古丹別中学校は昭和22年に開設され、これまでの75年の間、4,659名の卒業生を輩出しています。
昭和39年に東川中学校、41年に力昼中学校、50年に霧立中学校、52年に三渓中学校と、この間苫前町内の各中学校との統合が進められてきました。
その後、苫前中学校と2校体制が町内で続いて参りましたが、少子化の波にあらがうことが出来ず、平成29年に再検討が始められた中学校統合の議論の結果、本年3月で古丹別中学校は苫前中学校へと統合されることが決まりました。
体育系部活動のみならず英語弁論大会などの文科系活動でも確かな結果を残し、地域貢献にも積極的に取り組み、今日、卒業生代表として来られた、かつて明治大学ラグビー部監督を務められた丹羽政彦さんをはじめ、素晴らしい人材を輩出してきた古丹別中学校です。
目標に向かって生き生きと学び、他を思いやり、互いに高め合い、身体を鍛え、勤労を重んじる。素晴らしい教育目標の通りの人材育成が行われてきたものと思います。
今日の式典の中では、福士敦朗苫前町長、西條直志学校長の式辞に続き、私も挨拶を述べる機会を頂きました。
時代の流れとは言え、母校が閉校される中で卒業される3年生、また在学中に学校が閉校することを余儀なくされる2年生、1年生にとっては、寂寥感と不安に満ちた気持ちでいることと思います。母校を閉校するという決断を下さざるを得なかった卒業生の皆様にとっても、大変つらいことだと思います。
少子化を劇的に変えられなかった責任の一端は、政治家の一人である私も追っています。このような事態を防げなかったことを冒頭お詫びしました。
その上で生徒の皆様に対しては、私が過去に読んだ小説の中で心に残っている言葉を紹介させて頂きました。
詳しい設定はだいぶ忘れてしまったのですが、北方謙三先生が書かれた『三国志』の中に、戦いは強いものの、人との接し方を習うことなく大人になった若者が、ある夫婦の元に預けられ、言葉遣いをはじめとする礼儀作法を学ぶこととなります。互いに実の親子のような絆を感じ始めたころ、その若者は戦いの場に赴くこととなり、別れの場面を迎えます。
その際に育ての母となった人が若者にこう伝えます。「忘れなければ、別れではないのですよ」と。
古丹別中学校は閉校となりますが、そこに通った人たちが忘れない限り、同校は続いていきます。みんなが忘れない限り、古中(こちゅう)魂は永遠に続くのです。
私の実家がある釧路市山花には、今も小中学校があります。地元の皆さんや市の教育関係者の努力もあり、小規模校ながら今も存続しています。釧路から遠く離れたところで政治家として働く機会を得ており、なかなか母校を訪れる機会もありませんが、母校を忘れたことはなく、喜怒哀楽、生活の節目節目で思い出すのは母校で過ごした日々のことです。
生徒の皆さんには、寂しさだけでなく、忘れない限り古中はずっと続くのだという思いで、4月からの新生活を楽しいんでほしいと、挨拶の中で伝えさせて頂きました。
母校を思う苫前町の熱く温かい思いに満ちた式典でした。
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