11月3日に十勝管内足寄町で鈴木宗男先生が足寄町名誉町民として顕彰されることに合わせ、釧路市山花にある実家に久しぶりに帰ることが出来ました。久しくお手伝いできていなかった申し訳なさを少しでも晴らすため、作業を手伝いました。
搾乳の際の乳房洗いは小さい頃から私の仕事でした。牧草収穫の忙しい時期は、父親は牧草の作業に行き、時に母も手伝いに入ることもあり、両親不在となった時は、良く次女の姉と二人で夕方の搾乳をしていたものです。
姉とは喧嘩も良くしましたが、家の手伝いをするときには私はきちんと姉の指示に従い、仲良く力を合わせて働いたと思います。酪農の家に生まれた子どもは釧路市山花地区で沢山いたと思いますが、家のお手伝いをしていた度合いでは、私は一番ではなかったかなと自負しております。
当時学校は日曜日が休みで、土曜日は午前で授業が終わりました。お休みの週末は嬉しかったのですが、日曜日に待っているのは家の手伝いです。午前9時、10時台に放送されるアニメ番組などは、手伝いの時間と重複するため観ることが出来ません。
翌日月曜日に「昨日○○観た?」という同級生の会話に入れず、悲しい思いをしたこともありましたし、「休みの日に何で仕事しないといけないんだ」と反発したこともありました。
今となれば、親の近くで親の働く姿を見ることができ、共に時間を共有できたことは、かけがえのない心の財産となっています。
46歳となった今も、定期的に見る夢がいくつかあります。
そのうちの一つは、夕方の搾乳作業がなかなか始まらず、夜放送される好きなアニメ番組が観られないのではないかとヤキモキし、姉と二人で牛舎に向かい、仕事を始める夢です。
または、母が一人で作業をしているところに手伝いに入ることが出来て、「母さん、俺が手伝うから大丈夫だよ」と言い、自分自身がほっとしている夢です。
今は釧路市から遠く離れた留萌管内で道議会議員の立場を頂いており、実家の作業を手伝える時間はまずありません。今日実感しましたが、牛に接する腕も相当落ちました。
いつも心には(長男なのに実家を継がず、遠く離れた地域に行った親不孝者でごめんなさい)という気持ちが実家の家族にあります。しかし私は、今、与えられた立場の中で、酪農をはじめ農業振興に貢献したいと思います。
酪農の現場が自分の原点であり、牧場の風景、匂い等が私の血、肉であると、改めて感じました。
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