平成29年度第一回北方四島交流訪問事業参加報告

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5年ぶりに北方四島交流訪問事業に道議会派遣として参加する機会を 得られました。5月18日から22日までの5日間の活動報告をさせて頂きます。この問題の解決に必要なのは、国民一人ひとりの熱意です。一人でも多くの方々に北方領土問題に関心をもって頂ければ幸いです。

  

5月18日(木)

5月19日から22日まで、道議会の派遣として北方領土の国後島を訪問して参りました。5年ぶりのビザなし交流参加となります。

北方領土は、歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島の四島からなります。過去、ロシアとの間でいくつかの条約が締結されてきましたが、一度も他国の領土となったことのない、日本固有の領土です。しかし、第二次世界大戦後、当時のソ連が四島を占拠し、現在に至るまで実効支配が続けられ、日本の領土でありながら、日本人が自由に行くことができない地域です。

故郷に帰りたい、先祖の墓参りをしたい、島を追われた方々の切実な思いを叶えるため、北方領土問題が解決するまでの間、日本人が島に渡る方法としてつくられたのが「ビザなし交流」です。

ビザなし交流を大別すると、以下のようになります。

  北方墓参 四島交流 自由訪問
開始年 昭和39年 平成4年 平成11年
対象 元島民 領土返還運動関係者 元島民とその配偶者、子、孫
内容 四島にある日本人物故者の墓参り 日ロ相互の理解促進のための各種交流事業 元島民の故郷訪問
実施団体 千島歯舞居住者連盟

国(北方領土問題対策協会)
→道外居住者向け
道(北方領土交流北海道推進委員会)
→道内居住者向け

千島歯舞居住者連盟

私が参加したのは上記のうちの四島交流事業であり、一般にビザなし交流と言われるものです。参加者はパスポートもビザも必要ありません。日本からすればあくまで国内移動、ロシアからすれば外国人の受け入れと、日ロ双方の四島に対する立場を害さない特別な枠組みです。

この日の結団式、事前研修会では、ビザなし交流の成り立ちや島での注意事項などについての説明がなされました。

私にとって今回の最大のテーマは、島がどう変化しているかを直接見ることと、昨年12月の日ロ首脳会談で合意された共同経済活動についての現地島民の関心を探ることです。

貴重な機会を得られたことを、とてもありがたく思います。

5月18日 結団式に参加。5月18日② 事前研修会に参加。北方領土における共同経済活動についてそれぞれの意見を述べる

  

5月19日(金)

根室市で迎えた朝、素晴らしい好天です。この時期、根室市がここまで暑くなることはそうありません。

多くの皆様にお見送り頂き、予定通り午前9時半に出港。

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一応酔い止めの薬は飲んでいましたが、ありがたいことにべた凪で酔うことはありませんでした。

午後1時半ころ、国後島の古釜布(ふるかまっぷ)港に到着。入域手続きもトラブルなく終了。60名あまりの訪問団を2グループに分け、順番にはしけに乗り、国後島へ上陸。

ちなみに現地ではロシア時間が適用されており、東京時間より2時間早くなっております。四島交流の最中は、現地時間と東京時間を常に確認しながら行動していました。

上陸後、団長、副団長と、訪問団の顧問となっている我々議会議員関係者で現地の行政区へ表敬訪問。この日は南クリル地区長代行のブタコフ氏が出迎えてくれました。

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顧問の一人である新党大地鈴木宗男代表が、「共同経済活動に現地の皆さんは何を期待するか」と問うたところ、ブタコフ氏は「自分個人としても行政府としても」として、住宅、ホテル、道路の建設、電気施設の整備、農業、漁業の振興を挙げました。

日ロ両政府の協議では、漁業が先に挙げられ、他に観光や医療、海面養殖、衛生面での環境整備などが優先分野とされていましたが、現地島民は住宅という最も身近なインフラ整備に日本の技術が活用されることを期待しているようです。

四島でもそうですが、ロシア本土に行って感じることは、建物のアンバランスさです。階段の段差が一つ一つ異なり、足が躓くことが良くあります。耐震強度の面でも、最先端の技術が用いられているとはとても思えません。

日本が世界に誇る技術が島の発展に用いられることで島民の生活が向上し、日本への印象が良くなり、返還に向けた警戒感も薄れていく。共同経済活動がもたらすプラスの作用をイメージすることができました。

  

5月20日(土)

この日も素晴らしい天気となりました。

訪問団員は2グループに分かれ、各施設の視察。この日は午前に幼稚園、学校、図書館を回りました。

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幼稚園は6クラスから成り、園児は総勢約150名。学校の児童生徒数は約500名。ロシアの教育制度で言うと、義務教育は1年生から11年生まで。最高学年は日本で言う高校2年生くらいに相当します。

国後島の人口は約7千人。留萌管内の市町村で言うと、羽幌町の人口とほぼ同程度です。正確な出生率並びに出生数については不明ということで教えてもらえませんでしたが、島では今、出生数が死亡数を上回っているそうです。そのための対応か、島のいたるところに子どもが遊ぶ遊具が設置されています。

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ロシア政府の国策として、島への入植者を増やす政策がとられてきました。そのため、島で住む人たちの給料は、一般ロシア人の約2.8倍で、短期間島に住み、働いて、本土に帰るという人も多いそうです。

そのためか、島の物価は高めです。この日は島内散策をし、お店で買い物をしました。現地のアイスクリームを一つ買いましたが、値段は80ルーブル。1ルーブル約2.5円として、日本円に換算すると200円。一本200円のアイスは、日本でもなかなかありませんよね。

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島での車の運転はすべて右側通行。しかし車のほとんどは日本の中古車が入っているので右ハンドルです。またデイライト点灯が週間付いている一方、停車時に電灯を切り忘れてしまい、バッテリーが上がってしまうことが多々あるそうです。実際に、他の車からバッテリーをもらっている姿を何度か見かけました。

午後からは文化会館で工作教室に参加。

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夕方は各グループに分かれてホームビジット。

私は新党大地鈴木宗男代表と共に、博物館の館長をされているヴァレンチーノさんのお宅を訪問。大変温かく迎えて下さいました。

ヴァレンチーノさんは、「共同経済活動によって日本人の方々と交流がより深まるのは大歓迎だけど、私たちが島の外に出ていかないといけなくなるのなら心配ね。でもそんなことはないですよね」とお話されました。

かつて私たちの先祖は泣く泣く島を追われました。しかし日本政府は、四島が日本に返還されることが決まっても、今島に住んでいるロシア人島民の方々を無理に追い出すことは絶対にしない、自分たちの先祖と同じ苦難を味わうようなことはさせないと、公式見解として述べています。

四島を日ロの係争地域から友好、共生の島にする。この認識を、日ロ双方でもっと共有したいものです。

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5月21日(日)

この日から、少しだけ天気が崩れました。朝方は晴れましたが、昼近くから肌寒い天気に。

この日も東京時間6時から朝食。この日はライスと、おかずは鱈にシチューをかけたようなものを頂きました。宿泊施設である友好の家の朝食では、主食、副食が何であるかを問わず、必ず黒パンもしくは白パンが出されます。食前のつまみのような感覚なのでしょうか。しかしそれをいくつも手に取り、口にすると、メインディッシュにたどり着く前にお腹がいっぱいになります。

島で頂ける食事はどれも私は好きでしたが、お味噌汁やふりかけを持参すればよかったと感じることが多々ありました。

この日は今年3月にオープンしたスポーツ施設の視察からスタート。島民の健康増進が行政区にとって大きなテーマとなっているようで、広いプールを備えた施設が建てられました。

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ロシア人と言えば、男性も女性も年配になればふくよかな体形になるイメージがありますが、最近は健康への意識が高まっているそうです。

その次は郷土博物館へ。国後島の自然環境などについて説明を頂きました。

印象的だったのは、第二次世界大戦後、わずかな期間ですが、島に入ってきた当時のソ連人と島に残っていた日本人とが仲良く暮らしている様子を映した写真が展示されていたことです。

四島に元々住んでいた私たちの先祖の多くは、ソ連軍の侵入によって苦難を味わいましたが、仲良く共存をしていた事実もあるのです。

今後私たちが目指す共同経済活動の原形は、実は過去に既にあったのかもしれません。

博物館の後はロシア正教会を視察。

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昼食を経て午後から住民交流会へ。

第一部は日本人訪問団とロシア人島民合同コンサート。我々側からは標津町川北民謡と三味線の会の方々が、素晴らしい伝統文化を披露してくれました。最後はロシアの民謡「トロイカ」を演奏。たまたま現地に来ていたサハリン種議会議長もステージに上がり、一緒に歌ってくれました。

 

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ロシア人島民の方からは、若い方々でつくられた劇団やダンスサークル、子どもたちが素晴らしいパフォーマンスを見せてくれました。
第二部は意見交換会。テーマは、「共同経済活動についてどう考えるか」です。

私たちのグループには、現地島民のうち40代前半の夫婦とお子さん一人、30代の男性医師、30代の女性公務員が参加してくれました。

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皆さんの思いをまとめると、

  • ・ 日本側ともっと人的、文化的交流がしたい。日本の文化をもっと知りたい。
  • ・ 交流を阻む言葉の壁を解決することがまず重要。そのために四島に語学学校を建てることが必要ではないか。
  • ・ 観光分野での共同活動を発展させたい。島にある温泉をもっと良いものにできないか。
  • ・ ロシアは天然資源はあっても人的資源はまだまだ乏しい。サービス面で見ても日本に及ばない。そうしたところを日本から学びたい。

漁業等の産業よりも人的交流に関心を示されたのが印象的でした。6歳という女の子は、「共通のものを見つけられればもっと仲良くなれると思う」と発言してくれました。産業ありきよりも、まずは人と人との交流をもっと頻繁にし、互いに理解を深めようという考えは、私も大いに賛同します。

少なくとも、現地の皆さんは共同経済活動に関心を持っています。関心の灯が消えないうちに、具体的な制度設計を急がなくてはなりません。

夜は現地の方々も交えた夕食交流会。合同コンサートで「別れても好きな人」を歌ってくれた女性も参加され、余興の時間では私も一緒に歌うことに。

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こうした交流が領土問題の解決の礎にしなくてはと、お酒に酔いながらもしっかりと考えました。

 

5月22日(月)

根室へ戻る今日は、いつもより朝の時間が早くなります。

昨日、一昨日より30分早い5時30分から朝食を摂り、古釜布港へ向かいます。

この間良い天気が続きましたが、最終日の今日は雨。見送りに来てくれた、昨日ホームビジットでお邪魔したヴァレンティ―ノさんが、「雨は良くないことを流すと言われています。皆さんが良くないものを持っていってくれるのですね」と話されていました。それを聞いた新党大地鈴木宗男代表は、「日本には『雨降って地固まる』という言葉があります。この雨が我々の信頼をより強固にしてくれるでしょう」と応えました。

私が雨について言えることは、せいぜい自分が雨男であることくらいです。ただ今回の訪問では本領を発揮することもなく済み、ほっとしてます。

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出域手続きも無事に済み、えとぴりか号へ乗船。予定通り8時半に出港。

船内で解団式を行い、今回の訪問の総括がなされました。

中間線を越え、10時半近くになると携帯電話の電波が通じるようになります。留萌の事務所に電話し、この間の出来事などについて確認などしているうちに、根室港が見えて来ました。

 

根室港到着後、千島会館へ向かい、12時半から記者会見。

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参加者は喜多団長と訪問団顧問である新党大地鈴木宗男代表、道議会議員の久保秋雄太さんと私、他に元島民の方々が二人です。

「訪問を終えた率直な感想は」、「前回の訪問と比較した島の状況の違いは何か」等の質問を受けました。

これらの質問に対する回答も含め、以下今回の訪問で感じたことを主に5点、まとめます。

まず、現地島民の共同経済活動に対する期待、日本への関心は高いということです。前回訪問した5年前は、両首脳の信頼関係はじめ日ロ関係全体の状況は、今とは比べられるものではありませんでした。島民の方々の我々に対する対応も、決められたプログラムをこなすような、どこか機械的なものがあった気がします。インフラ整備関係のみならず、もっと人的な交流をしたい、日本を知りたいという思いは、我々日本人が想像する以上のものがあると思います。

二つ目は、島のロシア化が一層進んでいるということです。幼稚園、学校、体育館などの箱モノの整備のみならず、格段に進んだ道路の舗装。ロシア政府の島開発へのテコ入れは具体的な形になっています。

三つ目は、「それでもまだ、チャンスはある」ということです。道路の舗装はされていますが、はっきり言ってコンクリートが砂利道の上に塗られている、とでも言うべきレベルです。各建物の階段の高さは相変わらず段によって異なるものがありましたし、耐震強度の面でも、コンクリートの柱を不可解な形で壁同士横につないだ「やっつけ仕事」のようなものも見られました。日本のきめ細やかさ、質の良さは望むべくもありません。このことは現地の方も認めていました。

共同経済活動の具体的な形が整い、日本がインフラ整備に関われるようになれば、日本の技術の素晴らしさを目に見える形で示すことができます。天然資源では日本はロシアに遥か遠く及びませんが、技術はその逆です。島のロシア化を止め、日本化を進める余地は、まだ残されていると感じました。
四つ目に思うことは、今求められているのは「スピード」であるということです。ロシア化が進んでいる中でも、まだ日本化へと逆転できる余地はあります。しかしその時間はあまり残されていません。現地島民の熱意があり、日本への期待が冷める前に、具体的な制度設計を進め、実行へとつなげるため、日ロ両政府のスピード感のある交渉を強く望みます。その過程で、北方領土に隣接する地域や元島民はじめ、道民の想いをまとめ、交渉に反映するように政府に伝える役割を、道、道議会が担わなくてはなりません。

最後に、北方領土問題の解決に向けて大事なことは、我々の関心、熱意であるということです。ここで言う「我々」とは、海の先に島が見える根室市はじめ根室管内の北方領土隣接地域に住む方々や元島民の方々を除く、全ての道民、国民のことを指します。

隣接地域の方々は、領土問題が解決しないことが地域経済の衰退につながり、自分たちの生活が直接影響を受けてきました。例えば留萌管内、日本海側に住む我々は、海の先に北方領土は見えません。直接的な影響を感じることもまずありません。だからこそ「自分には関係ない」と考えるのではなく、「この問題は自分を含む全国民の問題だ」と考えることが大事なのではないでしょうか。

留萌市役所でも留萌振興局でも、または管内各地の道の駅の中でも、北方領土偏見を願う署名や各種啓発のコーナーが設置されています。真逆の海を望む地域に住む私たちも、まずはほんの少しの関心を持つことから始め、政府の交渉を支える力強い世論形成のために貢献していきたいものです。